雲居寺と不動院
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写真は雲居寺にある五百羅漢像。
龍寶山 雲居寺 うんごじ
北町32 曹洞宗 境内に駐車可
松尾山 不動院 ふどういん
良王町2−15 真言宗 境内に駐車可
<雲居寺>
 この辺りは閑静な住宅街に囲まれており、雲居寺の通り沿いの山門を入ると玉砂利が敷かれた静かな境内となっています。正面に新しい本堂があり、御本尊は薬師如来です。
 本堂左横に「五百羅漢堂」が、右横に市の保存樹のソテツがあります。五百羅漢堂は、堂内一杯に色彩豊かな五百羅漢像が安置されており必見です。五百羅漢は、明治時代に信者により寄進されたものです。羅漢というのは諸煩悩から開放され悟りを得た聖者のことです。
 雲居寺の創建は15世紀と伝えられています。織田信長に仕えた服部小平太の菩提寺でもありました。服部小平太は織田信長の馬廻り役(親衛隊)の一人であり、永禄3年(1560年)、信長が今川義元を桶狭間に襲撃した時、義元に一番槍を付けました。雲居寺は海東西新四国八十八ヶ所六十五番札所です。

<不動院>
 雲居寺から東へ行くと路地を挟んで隣に不動院があります。通りに面した朱塗りの山門を入ると玉砂利が敷かれた境内となっており、本堂へと導かれます。御本尊は不動明王です。
 創建は不詳ですが、延徳2年(1490年)に政長上人により再興造立され、上人を中興の第一世としています。津島で最も古い寺院の一つで、御本尊前机の裏書には応永7年(1400)の銘があります。
 室町時代末期の連歌師・宗長(1448〜1532年)が書き留めた『宗長日記』の大永6年(1526年)に「…旅宿は此所の正覚院…」と記されています。この正覚院が現在の不動院のことで、当時は織田家賓客の宿坊機能を有し、織田信長の父・信秀がここで宗長を接待したと伝えられています。
 不動院には市指定文化財である明代中国画の仏画「絹本着色十二天画像」が伝えられています。また、天文3年(1534年)の銘が入った鰐口、応永26年(1419年)造立の墨書銘がある木造地蔵菩薩坐像も伝えられており、市文化財の指定を受けています。不動院は海東西新四国八十八ヶ所六十三番札所です。

<備考>
 雲居寺の山門横に北町の尾張津島秋まつりの山車蔵(だしぐら)があります。

<周辺情報>
 雲居寺の少し南に海善寺(護国山海善寺 かいぜんじ 米之座町1−31 曹洞宗)があります。広い道路の南側に黄色のコンクリート壁に囲まれて白塗り鉄筋の本堂が建っており、一見民家のように見えます。寺の北側にある通用門を入ると境内は美しい庭園となっており、本堂縁側に腰掛けて見ることが出来ます。本堂西に坐禅堂があり希望者は体験坐禅が出来ます。
 開山は雲居寺二世永光耳山ですが、17世紀末頃には廃寺となりました。嘉永3年(1850年)に矢野藤左衛門が中興し、矢野氏寄付の阿弥陀如来立像が本尊となっています。
 また、海善寺横の路地(狭い路地で自転車でも入れないほどです)を入ると小さな神社が鎮座しています。現在は熊野社となっていますが、俗に良王神社とも呼ばれています。良王君については「津島の歴史」を参照して下さい。
 南朝の後胤(なんちょうのこういん:後醍醐天皇の子孫)・良王君は津島四家七名字(つしましけしちみょうじ:津島の有力な一族)をお供にして、永享7年(1435年)に津島に入られたと伝えられています。良王神社はオゲンコサマと呼ばれていました。このオゲンコサマは「御源公様」が転じたもので、良王君が源氏であったことに由来します。この祠は近世には雲居寺がお守りしていました。良王君に関する調査のため、明治21年宮内庁の調査員が来て、境内から五輪の石塔が発見されています。


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