古い町並が並ぶ本町通りに「成信坊」の石柱が建ち、そこから立派な山門が見えます。山門横には白梅の大木があり毎年真っ先に春を告げます。山門をくぐると境内には立派な松の巨木が生えており四方に枝を広げています。他にクロガネモチ、イブキ、サクラの巨木が残されており、寺の歴史の古さを物語っています。
本堂への参道は石畳となっていますが、この石が実は、臼です。このため、俗に「ひき臼寺」と呼ばれています。塔頭の金光寺があった頃、山門から金光寺まで臼供養にと信者から寄付されて敷かれたものですが、現在もその一部が残っています。 成信坊は津島市内有数の大寺で、御本尊は阿弥陀如来です。創建は不明ですが、明徳2年(1391年)7代・慶専の時、天台宗から浄土真宗へ改宗しました。戦国時代、浄土真宗(別名一向宗)が織田信長と長島一向一揆で戦った際、時の住職・祐念が教如上人の身代わりになったことなどの功績を賞され、「津島御坊」の称号を授けられました。 江戸時代には東本願寺門跡(東本願寺を統括する僧)が東行する際、この寺で休息して講義をする慣わしがありました。また、尾張藩の伊那備前守が検地をする際にこの寺で執務したことから、年貢割・宗門改めを当寺で行うようになりました。 また、木喰明満作の木造薬師如来坐像が伝わっており、市文化財に指定されています。「木喰」とは真言宗の苦行の一つで五穀を断ち木の実や草の実を食する行のことです。木喰明満(1718〜1810年)は生涯千体仏作成を願って全国を行脚しましたが、寛政13年(1801年)には故郷(山梨県)で88体の仏像を作像しました。木喰明満作の仏像は微笑仏と呼ばれる特異な作風で美術愛好家に評価されています。 |