古い町並み・三養荘と屋根神様
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写真は三養荘
 名古屋の旧市街(例えば四間道界隈)など尾張地方には、屋根の上や庇の上に小祠を設けている風景を良く見かけます。これを“屋根神”と呼びます。津島市内にも、合わせて20数ヶ所の屋根神様がありました。昨今、古い町並みの景観の中心となる町屋が取り壊され、その数は少なくなりつつありますが、津島市内散策の折に探してみてください。屋根神様の内には津島、伊勢、秋葉、熱田神社の神札を納められており、各町内でお供えをしています。秋葉神社本山は静岡県春野町にあり火坊の神様として知られています。
 三養荘は貞享2年(1685年)の建築とされ、三百年前の原形を今も留めています。徳川家に縁ある津島の堀田家から豪商服部家に移り、昭和60年(1985年)に清林館高等学校へ引き継がれました。同校所有となり「信仰・勤労・実際」の三つの心を込め「三養荘」と名付け、情操教育の場として活用されています。

 さて、津島の町屋は商家が多く、一般的に、瓦葺の切妻造りで平入りが多い、正面は開放的で格子構えが多い、間口が狭く奥行きが深い、表に店を構えて座敷・居間は奥になる、などの特徴があります。
 他に例を見ない津島の町屋の特徴は、必ずお茶室があることです。これは町屋文化・建築様式として全国的にも希で、建築士から高い評価を受けています。このため、奥深い町屋の中に工夫を凝らした様々なお茶室が並ぶ津島の本町筋を瀬口教授(名古屋市立大学)は“お茶室ロード”と名付けています。この背景には、客に煎茶代わりに抹茶を出すという津島近郊の独特な風習があります。また、礼儀作法にこだわらず縁側でよく飲まれることから「縁側茶」とも言われています。海部津島近郊の学校に赴任した先生が、家庭訪問に訪れた各家庭で縁側茶を出されて閉口したという笑い話があるくらい、抹茶が自然と飲まれています。また、尾張地方は喫茶店の密度が日本一と言われていますが、これもこの抹茶飲用文化からコーヒー飲用風習へ自然に移っていった結果と思われます。
 また、この文化があるため、市内には抹茶を売る店、抹茶に添える和菓子を売る店が多いことも津島市街の特徴の一つです。これらの店はテレビ取材を受けたこともあり、現在でも茶室で抹茶を出してくれる店があります。珍しいところでは、床屋でも抹茶が出るところがあります。津島市内散策の時には、機会があれば是非ご賞味下さい。

<周辺情報>
 清林館高校がある通りに面し、弘浄寺(白鳳山弘浄寺 こうじょうじ 本町5−17 浄土宗)があり、寺門横に「南無阿弥陀仏・弘浄寺」「圓光大師廿五霊場第一番」と彫られた石柱があります。門をくぐるとコンクリートの参道が本堂へ続いています。境内にはサクラやソテツの木々が植えられ、あちらこちらに十二支神堂、先祖供養塔、地蔵堂、仏足石などが建てられています。
 寺伝によると、天武天皇の勅願寺で創始が7世紀白鳳年間であるため、山号を白鳳山とすると伝えています。弘仁13年(822年)弘法大師が護摩供を修したという伝説も伝わっています。開山は乗運和尚とされ、16世紀中期の永録年間の創建と考えられます。御本尊は阿弥陀如来坐像です。当寺には三尊来迎繍仏一幅があり、県の文化財に指定されています。鎌倉末期から室町初期の作品と考えられています。弘浄寺は海東西新四国八十八ヶ所番外札所です。
 なお、織田信長が伊勢長島一向一揆と戦った際、この寺に滞在し、そのため焼き討ちにあったと伝えられています。織田信長は長島一向一揆で3度戦い、その内2回、津島に本陣を置きました。
 弘浄寺の裏には本町筋に面し、野口米次郎の生家が残されています。野口米次郎に関しては天王川公園エリアの中之島の頁を参照下さい。


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