瑞泉寺・西福寺・善福寺
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写真は瑞泉寺前路地にある六地蔵尊
鏡池山 瑞泉寺 ずいせんじ 舟戸町40 浄土宗西山派
 土塀に囲まれた瑞泉寺の境内は「津島幼稚園」の運動場を兼ねています。寺門は南側にあり、また、土塀途中にある東門は尾張津島天王まつりに関わりがある稚児門(「尾張津島天王まつり 宵まつり」、「車屋と稚児門」参照)です。
 御本尊は高さ約180cmの荘厳な曼荼羅阿弥陀仏坐像です。当寺も良王君伝承に関わりがあります。良王君(よしたかぎみ)が明応元年(1492年)に逝され、その菩提寺がこの瑞泉寺です。また、良王君の縁で大橋一族の菩提所ともなっています。本堂裏の墓地には良王君の墓もあります。また、宝暦9年(1759年)大橋定長・小傅次らが寄贈した良王君御影一幅が現存しています。良王君については「津島の歴史」を参照して下さい。
 当寺はもと向島の瑠璃小路辺りにあり、境内に鏡池と呼ばれた蓮池があったことから山号を鏡池山としたと伝えられています。永正14年(1517年)に寿慶和尚が現地へ移転し、現在の瑞泉寺庭園にも小さな池が作られています。
 当寺の庭には明治23年に相羽荷庵によって建てられた松尾芭蕉の句碑があります。『笈の小文』に収録されている吉野での句ですが、津島に関わりがある藤の句です。
    草臥(くたびれ)て やとか流(る)ころや 藤の花
なお、元禄3年(1690年)に刊行された芭蕉七部集の第三集『阿羅野』には津島出身の俳人が11人も入選しています。松尾芭蕉は元禄7年(1694年)に佐屋を訪ねていますが、津島にも立ち寄ったと考えられます。海東西新四国八十八ヶ所五十六番札所です。
 瑞泉寺東の路地に六地蔵尊があります。地蔵堂には延享2年(1745年)奉献の灯篭があることから、それ以前の創建です。かつては舟戸町に、その後、瑞泉寺境内に移され、明治28年に現在地へ移りました。本尊は地蔵菩薩立像で、その周囲に6躰の地蔵尊が安置されています。この六地蔵尊には、ある家に入った盗賊を追い払ったという伝承があります。六地蔵とは、地獄道での壇陀地蔵、餓鬼道の宝珠地蔵、畜生道の宝印地蔵、修羅道の持地地蔵、人道での除蓋地蔵、天道での日光地蔵のことです。

<西福寺>
 瑞泉寺北の路地を西へ行くと、西福寺(紫雲山西福寺 さいふくじ 西御堂町1−19 浄土宗)があります。この寺には、路地に面して「関西成田山不動明王」と彫られた石柱が建っており、砂利が敷かれて駐車場となった境内にはサクラの老木が数本あり、隠れたサクラの名所となっています。御本尊は阿弥陀如来立像で、弥生町の蓮台寺を「東の御堂」に対して、「西の御堂」と呼ばれたことから、この辺りを西御堂町と呼ぶようになりました。弘長2年(1262年)堀田尾張守正重の創建、蓮台寺と同じく正重の第六子弥阿上人の開基と伝えられています。当寺は堀田家の菩提所で代々の位牌を安置しています。堀田家については堀田家住宅の項を参照下さい。

<善福寺>
 西福寺前の路地を北へ行き、西に曲がると筏場町で、筏場神社があります。その南に、善福寺(大森山 善福寺 ぜんぷくじ 筏場町46 浄土真宗)があります。この寺の御本尊は阿弥陀如来立像です。もと名古屋興善寺の末寺でしたが、元禄元年(1688年)海西郡富吉庄古木村より当地に移ったと伝えられています。当寺には「尾張国海西郡津島之図」が伝えられ、市文化財に指定されています。津島牛頭天王社の社家の堀田之邑(ほったゆきむら)が製作した延享5年(1748年)の村絵図で、当時の津島の町の様子が精密に描かれています。


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