橋詰道標
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写真は橋詰町にある「津島神社参道」道標
 橋詰は津島上街道と下街道の起点であり、津島神社(津島牛頭天王社)へ行くための天王橋の橋詰めであったことから、この地名が付きました。
 下街道は、神守、安松、万場、岩塚を経て、熱田神宮(東海道熱田宿)へ続く道です。この街道は、熱田から佐屋へと続く「佐屋街道」を、津島の追分でわかれて津島に入る道ですが、津島の人々は佐屋街道も含めて、下街道と呼んでいます。佐屋街道は東海道の脇街道で、江戸時代では、東海道は熱田〜桑名間が七里の渡しとなっていましたが、航路を嫌う旅人に陸路として利用されていました。
 現在、本町との三差路にある大きな石柱の「津島神社参道」の道標は、明治29年に木材問屋であった八百代の浅井代次郎氏が寄進したものです。江戸時代の橋詰は津島の一大繁華街で多くの料亭がありました。津島に料亭が多かったのは、天保年間(1830〜1844年)の頃で、津島牛頭天王社への参詣人、特に遠方から代参する人にとって、最大の楽しみは食べることであったためです。料亭と言えば、芸者衆です。津島は花街でも尾張有数との評価を得ていて、花町番付にも入っていました。
 昔は旧暦6月の尾張津島天王まつりと正月の七草まつりの時には雑踏を極めていたそうですが、現在でも、7月第3土曜日の尾張津島天王まつり宵まつりの時だけは人通りが絶えません。

<周辺情報>
 浄蓮寺(賓竟山浄蓮寺 じょうれんじ 筏場町29 浄土真宗大谷派)の境内には玉砂利が敷かれ楠の大木が生え、鐘楼、経蔵などがあります。また、本堂横にはマツ、ツゲなどが植えられた小さな庭園があります。御本尊は阿弥陀如来です。
 安永5年(1776年)鐡眼上人が木版で刷った一切経を納めてあるのが、境内の輪転式経蔵(りんてんしききょうぞう)であり、これは市の文化財に指定されています。経蔵には阿弥陀仏像と聖徳太子像が安置されています。他にこの寺には絹本著色阿弥陀(けんぽんちゃくしょくあみだ)・十一面観音・地蔵三尊画像が伝えられ、県文化財に指定されています。阿弥陀三尊図に十一面観音のような密教的仏像が配されているのは珍しいものです。14世紀室町時代初期の作と言われています。
 また、当寺には県文化財に指定された木造四天王像も伝えられています。四天王とは多聞天、持国天、広目天、増長天をいい、欲界第六天の主・帝釈天に仕え仏法を守護する四天のことです。


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