津島神社の南鳥居から東へ向かい、天王川公園に行く途中に、塀を連ねた堀田家住宅があります。 堀田理右衛門家の屋敷で、始祖の堀田理右衛門之理は、福島正則に小姓として仕えましたが、慶長5年(1600年)正則が広島に転封された時、津島へ帰りました。5代之仲は元禄の頃から酒屋を始め、6代知之は酒造業・金融業や新田開発を行い、寺社奉行御用達を務め、苗字帯刀を許されました。 堀田家の母屋部は切妻造りで18世紀初頭に建てられ、江戸時代の町屋建築様式を色濃く伝え、国の重要文化財に指定されています。 大戸口(玄関)を入ると右に“みせざしき”があり、そのまま直進すると、荒神かまどが現存しています。また、家の奥に茶室がありますが、刀掛けが付いています。商人であったのに帯刀が許され、また武士階級との交流があったためです。 堀田家は武内宿禰から32代後の之高が中島郡堀田村に住んだことから堀田を称しました。その後、津島に在住し津島の名家として、織田・豊臣・徳川政権に仕えました。その後、分家の堀田正盛は、徳川家光に仕え、下総国(千葉県)佐倉で12万石の大名となり、正盛の三男の正俊は5代将軍綱吉の時に老中・大老となりました。
<備考> 堀田家住宅を観覧するためには、津島市教育委員会生涯学習課への申請・許可が必要です。電話番号0567−25−2165までお問い合わせください。 |