津島神社の歴史
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写真は回廊にかかる吊灯篭
 津島神社の社伝には「当社は人皇七代孝霊天皇45年に、建速須左男命(タケハヤスサノオノミコト)の御魂が韓郷の嶋より帰朝ましまし、まず西海対馬に留まり、此の所に年を経給い、其後、欽明天皇元年(540年)に此の神島に光臨し給う」と、また、正暦年中(990〜995年)に天王社の号を賜わると伝えています。
 明治元年までは津島牛頭天王社と呼ばれ、祭神は牛頭天王でした。津島牛頭天王社は、「西の祇園、東の津島」として、二大天王社として全国に知られました。西の祇園とは京都にある現在の八坂神社です。
 室町時代から津島御師と呼ばれる社家が全国に牛頭天王信仰を広め、また、武門の崇敬も篤く、戦国期には織田家、特に織田信長は氏神と仰いで造営に協力し、豊臣家も現在に残る楼門、南門など多大な寄付をしています。さらに、江戸時代になってからも尾張徳川家から篤い信仰を受けて保護されています。なお、津島神社の神紋(牛頭信仰の寺社と共通)は木瓜紋と呼ばれ、織田家と同じです。
 江戸時代になって、天王信仰の流行とともに大いに発展し「津島の天王さん」と親しまれ、「伊勢、津島どちらが欠けても片参り」と称され、全国有数の神社として日本全国からお蔭参りが盛んでした。毎日、街道が参詣人であふれたと伝えられています。


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