写真は天王川公園の中之島にある「野口米次郎」の銅像
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天王川公園の丸池には小さな島が2つあり、その内の大きい島を通称「中之島」と呼び、西側から朱塗りの橋がかかっています。赤い橋が緑の島と青い水面に映え、とても美しく、よくテレビ取材地となります。また、初夏には中之島の回りは睡蓮が満開になります。 赤い橋を渡ると中之島入口には小さな藤棚があり、島の中には休憩所と津島が生んだ詩人・野口米次郎の銅像と詩碑があります。 野口米次郎(1875〜1947年)は、明治・大正・昭和に活躍した世界的な詩人です。現在の本町四丁目に生れ、慶応大学中退後、19歳で渡米し、独学の後、1896年「Seen and Unseen」を上梓して注目されました。1904年に帰国した後、慶応大学の教授となり、日本語の詩作に励む一方、歌舞伎や浮世絵などの日本文化研究にも精通し、積極的に海外へ紹介し、芸術院賞を受けています。なお、世界的彫刻家として知られるイサム・ノグチは、米次郎の長男です。 もう一人、津島で生まれた偉大な詩人がいます。昭和時代、反骨の詩人と称えられた金子光晴です。金子光晴(1895〜1975年)は津島市日光町(現大字日光)の生れで、幼い頃に金子家の養子になり、名古屋、京都で暮らしました。大正12年に刊行した詩集『こがね虫』で文壇へ登場し、戦後に『鮫』『落下傘』『蛾』などの詩集をまとめて、高い評価を受けました。 また、中之島から南、天王川公園丸池の南西端には片岡春吉の銅像が建っています。片岡春吉(1872〜1923年)は、現在の岐阜県上石津町で生れ、明治25年(1892年)津島のおさ製造販売の片岡孫三郎に見込まれ養子となりました。東京モリスン会社で毛織物技術を習得後、織機を改良して、外国製にも劣らない優秀な品質の毛織物製品を生産し始め、津島の毛織物産業の礎を築きました。 さらに天王川公園南部の緑地の中には、杉浦兼松顕彰碑があります。杉浦兼松(1889〜1979年)は、現在の津島市禰宜町に生まれ、青年期に渡米しました。苦学の末、ニューヨークのメモリアル病院で癌の研究を粘り強く進め、癌研究に一生を捧げました。杉浦兼松は高峰譲吉や野口英世とも交流がありました。
<周辺情報> 天王川公園の西側堤防の北端には瑠璃光寺が、また、瑠璃光寺の南には多度道の道標が立っています。また、天王川公園の東側堤防の北端には秋葉神社が、車河戸北側には御嶽神社が建っています。 |